「抗IL-6レセプター抗体によるクローン病の治療」 改訂第二版 2001-11-05
大阪大学大学院医学系研究科分子病態内科学 伊藤裕章
【はじめに】
クローン病治療と言えば栄養療法、患者さんにはとても辛いことですが、わが国では今のところこれが主流です。我が国では、と言いましたが、欧米ではこのような治療が行われない事情があることと、十分長い期間投与してステロイドなどの他の治療法と比較した臨床試験が行われないうちに日本では全国に浸透したという経緯があるということで、決して意味のない治療法を強いているのではありません。
でも人生最大の楽しみのひとつ、食欲を満たすことを許されないのは本当に辛い。そんな我慢をしなくてもきっちりと効いてくれる薬はないものなのか。実はそのような薬は現実のものとなりつつあるのです。炎症を起こすサイトカインという、体内にごく微量しか存在しないが非常に強い生理活性を持つ物質をブロックする治療法がそれです。そのひとつ、抗TNF-α抗体(インフリクシマブ、商品名レミケード)は、すでに欧米をはじめ世界30数カ国で優れた臨床成績を上げており、日本では(随分遅れていますが)ようやく来年の春ごろには認可されるものと期待されています。そして私たちが開発中の治療薬が抗IL-6レセプター抗体です。臨床試験(臨床第2相)も順調に進んでいます。では、なぜこのような治療法がクローン病に効くのかをお話しましょう。
【サイトカインをブロックする治療】
クローン病のような炎症は好中球、リンパ球やマクロファージといった細胞を介しておこりますが、攻撃や出動の指令は細胞が分泌するホルモンのような液性因子によって行われます。この液性因子をサイトカインとよびます。そして指令を受ける細胞の表面には、サイトカイン・レセプター(受容体)とよばれる構造があります。サイトカインが細胞のスイッチを入れる鍵とすると、サイトカイン・レセプターは細胞の鍵穴です。鍵と鍵穴はぴったり合わないとスイッチを入れることができません。TNFにはTNFレセプター、IL-6にはIL-6レセプターといった具合です。
さて炎症がおこる時には、炎症を起こすサイトカインと同時に、実は炎症を抑えるサイトカインも出てきます。炎症をおこすサイトカインにはIL-1、IL-6、TNF-α、IFN-γと呼ばれるものがあり、炎症を抑えるサイトカインにはIL-1レセプター・アンタゴニスト、IL-10、IL-11、TGF-βなどがあります。そして炎症を抑えるサイトカインが勝つと炎症は自然におさまり、炎症をおこすサイトカインが強いといつまでも炎症が続き、慢性関節リウマチやクローン病のような「慢性炎症」となってしまいます。
炎症をおこすサイトカインが炎症を抑えるサイトカインより優勢なために炎症がおさまらないのなら、炎症をおこすサイトカインが働かないようにしてやれば良いことになります。これが抗TNF-α抗体や、私たちが取り組んでいる抗IL-6レセプター抗体です。抗TNF-α抗体(インフリクシマブ)はTNF-αという「鍵」にとりついて、TNFレセプターという「鍵穴」に差し込まれるのを邪魔する薬です。この薬はまず慢性関節リウマチに対する臨床試験が行われていましたが、他の治療法が全く効かない12歳の少女に試験的に投与されてきわめて有効であることがわかり、クローン病に対する臨床試験が行われ、すでに欧米を初めとする多くの国で薬として認可され、優れた臨床成績を上げています。
さて、「抗TNF-α抗体」の「抗体」とは何でしょう。麻疹(はしか)に一度かかれば二度とかかりません。それは体に麻疹ウイルスに対する抗体ができるからです。抗体は自分の体ではなく外からの侵入したもの、生まれつき自分の持っていないもの(非自己、異物)に対してリンパ球がつくり、これを中和したり破壊したりするタンパク質です。自分の体に対する抗体(自己抗体)は健康な人には通常存在しませんが、全身性エリテマトーデスに代表される自己免疫疾患(膠原病)でみられ、病気の原因と密接な関わりがあると考えられています。TNF-αは良きも悪しきも生まれつき誰もがもっているサイトカインですから、これに対する抗体は基本的に存在しませんし、ワクチンのように注射をしてもヒトの体にヒトのTNF-αに対する抗体は作られません。そこでヒトのTNF-αに対する抗体はヒト以外の動物、具体的にはマウスに作らせます。ところが、マウスの作ったヒトのTNF-αに対する抗体はマウスのタンパク質でヒトにとっては異物ですから、ヒトに投与すると、今度はヒトのリンパ球がたちまちこれを中和する抗体を作ってしまいます。中和するだけならまだしも、時にはアナフィラキシーと呼ばれるショックを起こすような非常に強い有害反応をおこすこともあります。そこで特殊な方法を用いてマウス特有の部分をヒトのものと置き換えた抗体を作ったのです。TNF-αに結合する部分はマウスのままで、残りはヒトという抗体なので、ギリシャ神話に出てくる怪獣の名をとって「キメラ」抗体と呼ばれます。 インフリクシマブの効き目は相当に強力で、栄養療法の行われない欧米での試験でも、たった1回の点滴静注で約半数の患者さんが緩解に入ったと言われています。さらに、クローン病の患者さんを非常に悩ませる瘻孔を閉鎖する作用があることもわかりました。しかしこの夢のような薬にも問題点があります。少し残っているマウスの部分にも抗体ができて、薬の効き目がなくなったり、時にはアナフィラキシーがおこることもあります。TNF-αは炎症をおこす一方で、感染防御にも関わる大事なサイトカインですから、これを中和してしまうと感染症にかかりやすくなったり、重症化することがあります。また、不思議なことにインフリクシマブを投与すると、全身性エリテマトーデスでみられる自己抗体が出現したり、時には全身性エリテマトーデスの症状まで出ることがあります。さらにインフリクシマブを投与中に悪性リンパ腫などの悪性腫瘍が発生したため、現在長期投与の有効性と安全性を確認する大規模な臨床試験が行われています。クローン病は慢性の炎症で、薬の効き目が切れてくるとまた悪化してしまいますから、何度も繰り返し投与しないといけません。インフリクシマブの効果は8-12週で消えてしまいます。それだけに長期投与の安全性は大きな問題です。
【抗IL-6レセプター抗体】 ![]()
炎症をおこすサイトカインのひとつ、IL-6(アイ・エル・シックスと呼んで下さい)はTNF-αと共に、炎症において中心的な役割を果たしていると考えられています。IL-6は、そのレセプター、細胞内へのシグナル伝達から生理的意義、病気との関わりまで、現大阪大学総長で1998年に文化勲章を受章された岸本忠三先生が中心になって解明されてきました。
さて、クローン病の活動性を知る指標のひとつとして、血液中のCRPというタンパク質の濃度を測定しますが、実はこのCRPは、IL-6の指令を受けて肝臓がつくるタンパク質です。ですからCRPが高いということは、とりもなおさずIL-6がたくさん出ているということなのです。クローン病の患者さんでは血小板の数も増えます。これはIL-6が骨髄にはたらいて血小板を作る指令を出すからです。炎症のある場所には血液の中から白血球がたくさん集まって来ます。これは炎症がおこる場所の血管に「接着分子」という目印が出て、白血球はこの目印をめざして集まってくるからなのですが、IL-6は血管の接着分子を増やす働きももっています。また、白血球のうちのリンパ球は侵入者との戦いが終わると通常どんどん死んでいきます(この現象を「アポトーシス」といいます)。もしいつまでも死なずに増え続けると、侵入者がいなくなった後も炎症がおさまらないことになりますが、実はIL-6はリンパ球が死なないようにする作用を持っていることもわかっています。
さて、先に述べましたようにIL-6もIL-6レセプターという鍵穴にぴったりはまることによってさまざまな機能を発揮することには変わりないのですが、IL-6レセプターは細胞表面にはめ込まれているだけではなく、細胞から離れて血液中を流れることも出来るのです。このようなIL-6レセプターは血液中でIL-6と仲良くひとつになると、どんな細胞にでも指令を送ることが出来てしまいます。このためにIL-6はさまざまな細胞でその機能調節をおこなっていると考えられています。
【ヒト型化抗IL-6レセプター抗体-MRAの臨床試験】
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抗IL-6レセプター抗体は、細胞表面のIL-6レセプターにも、また細胞から離れて血液中を流れているIL-6レセプターにもとりつき、IL-6がこれと結合するのを阻止して、細胞の中へIL-6の指令が入らないようにするわけです。この薬はまず慢性関節リウマチで臨床試験が始められ、優れた成果をあげています。私たちはこの抗体をクローン病の治療に応用しようと考えました。ヒト型化抗IL-6レセプター抗体-MRA(エム・アール・エーと呼びます)は大阪大学と中外製薬の共同研究開発により、特殊な方法で作られた「ヒト」のIL-6レセプターを認識して結合する「ヒト」の抗体です。マウスの抗体をもとにして作られていますが、マウスの部分はほとんど残っておらず、限りなくヒトの抗体に近いもので、「ヒト型化抗体」と呼ばれます。キメラ抗体のようにその働きを無効にしてしまうような抗体は出来にくく、アナフィラキシーも非常におこりにくくなっています。私たちは臨床試験に入る前に動物(マウス)の腸炎モデルでその効果を確認しましたが、IL-6による接着分子の発現を抑え、リンパ球のアポトーシス(前述)を誘導し、結果的に腸炎の発症を抑制し、すでに起こってしまった腸炎の治療にも成功しました。そしてヒトへの応用をめざしての臨床試験も順調に進行しています。MRAがクローン病の治療薬として安全で、しかも有効であるということを証明するための試験です。薬としての認可を得るためには「二重盲検試験」という非常に厳密な臨床試験を行う必要があります。これは、実薬({物の薬)すなわちMRAと、実薬と全く見分けのつかない偽薬(プラセボ)の2種類を用意し、どちらが投与されるかは、投与される患者はもちろん、投与する医者にもわからないようにしておいて、実薬がプラセボにくらべてどれくらい有効であるかを調べる方法です。
年齢が20歳以上で、クローン病の活動性を判断するための指標であるCDAI(Crohn's
Disease Activity Index)
が150以上(活動性であることを意味します)で、CRPが異常値を示し、従来のクローン病治療(経腸栄養療法、サラゾピリンやペンタサ、副腎皮質ホルモン剤、免疫抑制剤など)のいずれかが行われている患者さんが対象となります。治験登録前4週間に外科的治療、完全静脈栄養療法を受けている方、白血球数3500未満、血小板数10万未満の方、腹腔内膿瘍のような明らかな感染症状のある方や治験期間中に外科的治療が予定されている方、妊娠中、あるいはその可能性のある女性、妊娠を希望する女性など、この治験に入っていただけない条件もいくつかあります。最終的には治験を担当する医師がこれらを判断します。この治験に先行して行われた慢性関節リウマチの患者さんを対象とするMRA第1/2相試験では、帯状疱疹を発症した方が報告されています。また英国で慢性関節リウマチに対して治験薬が投与された6週間後に心筋虚血で亡くなった方がありましたが、MRAとの因果関係は否定されています。しかし慎重を期するために今回の治験では心電図検査を含めています。これらの事柄については担当医が治験審査委員会の承認を得た同意文書及びその他の説明文書を用いて十分に説明した上で、患者さんが自由意志によって治験参加の同意を文書で表明した場合にのみ、治験が始められます。また治験開始以後に患者さんが離脱を希望された場合には治験を中止することが決められています。治験の前後には出来る限り内視鏡検査か造影検査を受けていただくよう、お願いしています。これは自覚症状だけでなく検査上も実際に病変部位が改善するのかを確かめるのが目的です。また非常に大事なことですが、この治験に参加して頂いた患者さんのデータは将来論文の形で発表されることがありますが、患者さんの名前などプライバシーに触れる内容に関しては一切公表されることはありません。
治験の期間は12週間で、実薬(MRA)8mg/体重kgあるいはプラセボが2週間隔で計6回投与され、12週目に最終観察が行われます。患者さんは、毎回実薬、交互に実薬とプラセボ(すなわち4週毎の実薬投与)、全部プラセボの3つのグループのどれかに無作為に割り振られ、どれにあたったかは患者さんも担当医も知らされないということになります。有効性はCDAI(前述)が70ポイント以上減少した患者さんの割合で判断されます。3つのグループのうち2つで実薬が投与されるわけですから、単純に実薬かプラセボか、というプロトコールよりプラセボのみを投与される確率は低いのですが、これにあたった方には何の変化もないまま我慢していただかなくてはならないかもしれません。そこでどのグループにあたった患者さんも、この治験で(たとえ全部終了する前に中止された場合でも)最終投与の2週後に観察が行われ、しかも特に副作用が認められなかった場合、希望されれば引き続いて一般臨床試験(オープン試験、すなわち必ず実薬の投与を受けられる試験)に入ることが出来るようにしてあります。治験に参加していただいた患者さんの治験期間中の医療費は、施設によって多少異なりますが患者さんの負担にはなりません。また外来通院には手当てが受けられます。
この臨床試験は、故兵庫医科大学第四内科教授で病院長の下山孝先生に医学専門家をお願いし、私たちの大阪大学医学部附属病院はもとより、慶應大学医学部附属病院、社会保険中央総合病院、名古屋大学医学部附属病院、滋賀医科大学附属病院、大阪市立大学医学部、日生病院、兵庫医科大学附属病院の8施設で行われています。各グループ10名ずつの計30名が終われば今回の治験は終了し、データが解析されることになります。幸い沢山の方々の協力でかなり早く終われそうな状況です。最終的に認可されるまでにはさらに大規模な臨床試験を追加しなければならないかもしれませんが、今のところはどうなるかまだわかりません。とりあえず今回のデータをしっかりまとめることが先決です。そして1日も早くMRAをクローン病の治療薬として認可されるように頑張りたいと思っています。
【おわりに】
MRAはすでに慢性関節リウマチに対する臨床試験が先行して行われ、CRPを初めとする炎症マーカーの正常化だけでなく関節症状の改善など、すばらしい成果を上げています。私たちはこの薬のクローン病に対する臨床試験を世界に先駆けて日本でおこない、日本から世界に発信するつもりです。新しい治療の試みはMRAにとどまらず、これからも続くはずです。従来の治療法より明らかに強力で、それでいて副作用は少なく、我慢しなくても快適な生活をおくれるような、さまざまな新しい治療法の中から、自分に合った治療法を選択できる時代は、あともう少しという所まで来ていると言えるのではないでしょうか。
補足
MRAは、中外製薬よりキャッスルマン病で、アクテラムという商品名で認可されました。慢性関節リウマチへの適用申請を2008年中を目指しており、増産体制に入っております。
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